2024年08月25日
時代の流れと欲求
夏の風物詩、盆踊り
郡上に通い数年、
大阪では50年弱踊ってきました。
うっすら感じていたことが現実になったのです。
有名、高名な音頭取りの人気もあって楽しく酔いしれていたはずの生音頭。各所の民踊指導者、愛好者から伺っていた長いとの感想が行き着くところまできた瞬間に居合わせました。
通常ならば2時間ほどの音頭。入れ代わり立ち代わりの河内音頭や江州音頭。それが完全否定されたのです。途中に民踊などを入れてもらうよう地域の踊り団体からの要望。勿論音頭の時間は削られます。いよいよ終盤にも別の音楽に入れ替えを要望。音頭取りが出れば踊り子が休憩に、民踊、レクダンスになればひしめき合うほどの大盛りあがり。3分の1が民踊関係者、3分の1が踊り好きな人達、残りの3分の1が若者(中高生)。
6席の音頭も後半は枕で止めざるを得ず、しかも音頭となれば潮が引くように人が減り、会場に見合わない人数の踊り子。続いて音頭となれば「え〜!?」とため息。
聞けば河内音頭ばっかり、江州音頭が入っても長いから嫌とのこと。皆のお気に入りはバハマ・ママ。これでもかとリクエスト。合計5回も踊るも盛り上がりは増すばかり。最後は役員お手伝いをされていた方々も加わりその日最後の踊りで熱気は最高潮。
音頭取りが手を抜いていたのか?
質の問題なのか?
もう終わったコンテンツなのか?
音頭で育った私でも理解できる音頭離れ。
音頭取りが主役か踊り子が主役か…
時間を埋めるための数合わせの櫓は通用しないようだ。私は踊りを料理に例えることがあるが、美味しいであろうサシの入ったステーキでも沢山は食べられないし、そこに眉をひそめるような肉を並べられても胸焼けすら覚えるのと同じ。『客は替われど主人は一人』これが音頭取りと踊り子の関係だと思います。
思えば、踊り型を増やしてきたのはこれがため。
ハッと気付く場面に出くわし、これからの在り方を熟慮せねばならないと再認識した夜でありました。
郡上に通い数年、
大阪では50年弱踊ってきました。
うっすら感じていたことが現実になったのです。
有名、高名な音頭取りの人気もあって楽しく酔いしれていたはずの生音頭。各所の民踊指導者、愛好者から伺っていた長いとの感想が行き着くところまできた瞬間に居合わせました。
通常ならば2時間ほどの音頭。入れ代わり立ち代わりの河内音頭や江州音頭。それが完全否定されたのです。途中に民踊などを入れてもらうよう地域の踊り団体からの要望。勿論音頭の時間は削られます。いよいよ終盤にも別の音楽に入れ替えを要望。音頭取りが出れば踊り子が休憩に、民踊、レクダンスになればひしめき合うほどの大盛りあがり。3分の1が民踊関係者、3分の1が踊り好きな人達、残りの3分の1が若者(中高生)。
6席の音頭も後半は枕で止めざるを得ず、しかも音頭となれば潮が引くように人が減り、会場に見合わない人数の踊り子。続いて音頭となれば「え〜!?」とため息。
聞けば河内音頭ばっかり、江州音頭が入っても長いから嫌とのこと。皆のお気に入りはバハマ・ママ。これでもかとリクエスト。合計5回も踊るも盛り上がりは増すばかり。最後は役員お手伝いをされていた方々も加わりその日最後の踊りで熱気は最高潮。
音頭取りが手を抜いていたのか?
質の問題なのか?
もう終わったコンテンツなのか?
音頭で育った私でも理解できる音頭離れ。
音頭取りが主役か踊り子が主役か…
時間を埋めるための数合わせの櫓は通用しないようだ。私は踊りを料理に例えることがあるが、美味しいであろうサシの入ったステーキでも沢山は食べられないし、そこに眉をひそめるような肉を並べられても胸焼けすら覚えるのと同じ。『客は替われど主人は一人』これが音頭取りと踊り子の関係だと思います。
思えば、踊り型を増やしてきたのはこれがため。
ハッと気付く場面に出くわし、これからの在り方を熟慮せねばならないと再認識した夜でありました。
Posted by 師匠
at 12:27
│Comments(0)